どんな旅をしてみたい?
ドンナところで、どういう行程でも、現実逃避の旅となるような気がします。
但し、いつもといる位置・立場が変わるので、どこに行っても、出かける度に何かしら人生の学びがあったように思います。
何処にも出かけていないようでいて、いき先は自身で選んだものというよりは、先に行き先ありきでしたし、行った先が限られていますが、あちらこちらに行けた有難い人生でした。
エコノミー症候群の経験もさせていただきました。
旅行に行く日程テクに隙間が無いスケジュールになっているし、体力が衰えていますから、これからは無理なんじゃないのかな・・自分次第なのでしょうか
今日は旧暦三月(小)十一日
穀雨 トークの日
若潮 二黒 先勝 みずのと・うし 廿八宿は「婁」の金曜日
窓の外は賑やかな雨降りです。花に雨・・・花チラシの雨です。
ストーブが無い・稼働が止まってしまうと、家の中では肌冷えを感じますが、それでも17度あるようです。
封筒詰めが昨夜でき終わりましたので、今日から五月号の課題を練習することになります。
関戸本4ページ34の「やどち(遅)か(可)くうめの花うゑ(衛)じあぢきなく(九)待人の香にあやまたれけ(遣)り(李)」は、本来ならば半紙に臨書するのと条幅に書くのを練習すべきなのですが、
関戸本56ページ809「つ(徒)れ(連)なき(支)を(越)いまは(者)お(於)も(裳)は(盤)じと(東)お(於)も(毛)へ(遍)ども(无)こころよわくも(毛)おつ(徒)るなみ(見)だ(多)か(可)」も条幅に書く臨書練習をしないといけないはずなのです。
4ページ34の「香」の文字の解釈・筆の動きも納得していないし、チャレンジ提出する前の練習さえも、今回は(心身ともに、しんどくって動きだせなくって)あきらめています。
五月号は半紙だけを書いて、条幅を書かない=チャレンジしない方向で逃げようとしています。
本当は、そのチャンスを一回逃す・逃げるごとに私は半年ずつ老けていっているという現実があるんですけれどもね。
自分の本来の土台がいびつで低いこともあって、ここまでで、もう、前進・向上は出来ない(技術向上はあり得ない?)のかなぁ。
それでも練習していかないと、積み上げた砂山は日々に崩れてしまう=腕が落ちてしまうからなぁ・・努力の継続は必要・必須なようです。
旅に出なくとも、日々、季節のものを食べられる日本って、食が豊かですよね
海外に行って、日本人は贅沢者なのだと、つくづく思いました。