さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

針供養の日

最近、縫い物した?

 

あなたもスタンプをGETしよう

 
あらぁ・・・はやいなぁ
 
お針・・今着ているものも、ファスナーのところが糸切れしてしまって、ミシンをかける必要があるのですが、宥めなだめて(だましだまし?)着ています。
 
ジグザグミシンではだめでしたので・・・カラスミシンじゃないと、押さえ金具の部分が上手く動いてくれないんだけれども、一度奥にしまい込んでしまったので、動かせる状態にするには、手前にあるものを全部どけないといけないから・・
文字を書くために、その紙を出すだけでもしんどいのに、押し込んだものを整理しながら出すのって、今の私には無理です。
 
 
3日に亡くなった方のところに・・一応、少しですが包んで拝みに・・・・と思ったのですが、咳き込みがひどくって、祭壇前・家の中にあがるのは遠慮させていただいて、玄関先での手渡しとなりました。
うちの母の一学年上の方なのだそうでして…長生きなさったのでしょう。
 
世代交代がどんどん進んでいきます。
 
十年一日で生きている私から見たら、あまりにも世間の時間は速く過ぎているので、ついていけません。
 
まぁ、仕事に関わる事の無いように、ボランティア活動依頼からも逃げているようなご隠居さんになったのですから、ついて行く必要は無いのですが…
昨日のテレビ番組で、ジャケットを見てその歌詞の穴埋め問題がほとんどわかりかねまして・・もう、時代の波には乗れなくなっているのだと思いました。
教科書に載るようなレベルの歴史を生きてしまったのですものね。
「余生」っていうのは、こういうことなのでしょうかねぇ。
 
テレビでは、昨日から第二次世界大戦に関わる内容が多く放送されている・・と思ったら、真珠湾攻撃の日だったんですかね?
日本時間1941年(昭和16年12月8日未明、ハワイ時間12月7日) だそうです。
我が家の戦没者は、その時・既に南方の野戦病院で他界しています。
親たちから、随分とその当時から・・いえ、その戦争前に「朝鮮の憲兵さんの元に嫁いで行く姉を送って行った」という、海を渡るときのドタバタ話も含めて、うちの父親のいろんな話をも聞いています。
そういう記憶に、高度成長期の変化する時代をみてきた私の記憶が上のせで記憶されていますので、それらをキチンと文字化出来たら・・無理ですね。スムーズに時間の流れにあわせて記憶の引き出しから事実を客観的に引き出せなくなっていますから。