さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

送り盆の日

変な風が吹いて薄暗くなってきて雨も降ってきた 送り盆の準備中
イメージ 1
右上にかかっている額…
「皇后宮御歌 や春ら可に禰む礼 と所於もふ 君能堂免 いのちさゝけ志 万すら遠の 登毛」
イメージ 2
検索したら「やすらかに ねむれとそおもう きみのため いのちささげし ますらをのとも 昭和12年11月30日 戦没者に賜ふ」とのこと。

昭和12年以降に、戦争で若くして他界したお宅、全部に配られたものなんだろうかぁ?
出征した弟の戦士通知が届いて、戻ってきた木箱の中には、紙切れが一枚入っていただけだった・・・と、父が言っていたような記憶が・・遺骨の代わりに入っていた紙っていうのが、これだったのだろうか??
コピー機がある時代ではないから、皇居勤めの専門家が書いたものなんだろうか・・・専門家が書いたにしては、微妙によろけている線がみられるから、おつきの女官さんたちの分業=手習いみたいなものなんだろうかぁ。
まさか、ずいぶん経ってから、こういう目線で品評されることになるとは思いもしないで書いた・書かれたものなんだろうねぇ。


それと香淳皇后」と追号。香淳とは上代漢詩集『懐風藻』で、お印と号にちなんだ「桃」から「花舒桃苑香、草秀蘭筵新」(安倍広庭「春日侍宴」)、および「四海既無為、九域正清淳」(山前王「侍宴」)に拠る。「和書」を典拠にする諡号はこれが初めて

あら・・・「永和」という年号も和書を根拠にしていたんじょなかったっけ・ねぇ??



今日のお昼・・・・そうめんの日なはずなんだけれども、仏様の飯椀には、ご飯が入っていますねぇ