さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

3/11 パンダ発見の日??

パンダの赤ちゃん見たことある?

あなたもスタンプをGETしよう

 
テレビの中で・・だけね
 

赤ちゃんって、親にかまってもらえるように、そういう見た目のバランスで生まれてくるんだけれども、この頃のニュースで「愛を持てない親」っていうのがあるのは、それを感じ取ることが出来ない人が増えている社会なんだっていうことなんかな??

 

東北は3.11で、防災の日みたいな・・各地で、いろんな「もようしもの」があって・・・あれ、この「もようす」っていう単語って、方言なのかな?漢字変換が出来ないから。

未然形は、「ない・う」が下につき

連用形は、「ます・た」が下につき

終止形は、句点で終わる形で

連体形は、下に体言(名詞・代名詞)がつき

仮定形は、下に「ば」がつき

命令形は、命令する形になる

動詞の活用::五段活用とは少しずれがあるような…もよう”さ”ない、もよう”し”ます、もよう”す”、もよう”す”とき、もよう”せ”ば、もよう”せ”、もよう”そ”う

「もようしもの」で展示をする会やその内容の事の名詞なんですけれども、方言で表すとたいていの言葉が、ただの単語ではなく、意味が膨らんで”その周りの動作”のことも含む言葉になるんです。
方言って、情緒がある不思議な言葉なんですねぇ。
そうそう・・命令形で、うちの地域でモノの貸し借りを依頼するときに「貸しぇ」なんですが、羽後町のほうでは「貸そ」
自主的なのか???その言葉を受けた私は「貸したくは無いのに、貸す気は無いのに…」それで命令形なんだから、不思議です。
 
 

3.11_あの日、私は…

このパソコンがのっかっているラックにしがみついて何回も揺り返しが来るのに耐えていました。いつもの地震と異なり、怖かったぁ・・家の中を見渡したら、額が支えから外れてぶら下がっているだけでモノにはなんにも変化ありませんでした。

停電なので、テレビが付かず、ラジカセCD の電池が入っていなかったので大阪の身内のところに携帯から電話して「すぐにテレビをつけてみて!」って言っているのに、理由を聞こうとするから「まず、いいから、つけて!!」必死にそう言ったら・・・あらら・・・っていうことで、びっくりされて、そのテレビの内容を聞いて「わかったありがとう」って言って電話を切り、近くにある職場に行きました。

職場・・その時に私がいた所は、合併前から勤めていた事務所だったから防災対策はもともと出来ている=対応がわかりきっているところだったので、建物の主たる組織が準備していた発電機は燃料動力なのでパソコンの専門部門の内容回線が本部につながらないという以外のインターネットについては普通に繋がることが出来るのでそこから情報収集をし津波の提供動画をたくさん見させていただきました。
電話も光電話回線ではなくADSL回線だった上に電気を必要とする便利なビジネスフォンではないシンプルな機種を一台だけ見守り世帯への安否確認業務のためにセットしてあったから(ほかの事務所からは連絡できないのに)ウチの事務所からは普通にかけることが出来る状態なことを、合併して間の無い本部事務所から不思議がられましたっけ。
建物全体を温める暖房は止まっても、毎日夕方になったらボイラーが停止するので、そういう時間帯に使う対流式石油ストーブがあり、その上に前日の水道水が入っていた大型ヤカンを乗っけて暖を取りました。
自宅では、反射式ストーブがあって、懐中電灯・大小二っつの外に蝋燭も神棚用や仏壇用にいろいろあったし、プロパンガス使用だから料理もできて、水道は(自家水道はモーターが動かないから止まっていたけれども)山の上にある市営の大きい水槽に入っている分は流れてくるので普通水量で使えたし、さすがにお風呂は無理だったけれども、眠る時には反射式ストーブは火事になる危険があるので止めてホッカイロ数個を身につけて寝たんだと思う。
しかも、丸一日ぐらいで電気が復旧したから、割と早く日常に戻れたんだよ・・自家用車のためのガソリンが手に入らないということ以外は。
 
その後、少したってから、職場のパソコン回線は全面的に本部経由での完全管理となり、電話回線も光回線統一で早々にかえられて、それに伴い電話機も替えられました。
何もかもが本部管理となってしまい、昔からの知恵は活かことなく、災害時に不安があるような事務所になってしまったから、そういう風に乗っ取られてしまったようで、昔からの知恵袋を必要とはしないけれども、自分たちの直接便利な事だけを汲み上げる・・そんな事務所をやめたのは、正解だったのかもしれません。
 
え???地震が起きたのは、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分ごろ??
自宅にいたはずではない時刻じゃないか・・っていうことで、調べてみたのですが、日本海中部地震は1983年(昭和58年)5月26日(木)11時59分57秒とかいう話だし、ほかの地震の時の情報とごっちゃになっていることにようやく気が付きました。
どこからどこまでが、3.11の時の情報だったのか・・職場で地震にあったんかな?
つまり、職場以前の発生時の自宅での部分がまるっきり異なるんですね??
じゃぁ、地震があって、前庭にみんなで出た時なのかな??
でも、前庭にものすごい人数が出たのは、職場のガスの元栓を閉めないままで外に出た日本海中部地震の時の記憶ですから・・
再度検索してみた結果、自宅での記憶は、2011年04月07日 23時32分頃の宮城県沖地震だったようです。
その際には、宮城県多賀城市に住む知人姉妹が被災して流されて・・という大変な体験をしたので、その時のことが一番大きいショックで、こういうごちゃ混ぜの記憶になったみたいで、3.11の記憶に上書きされちゃっているみたいなのです。
ごめんなさい。
 
 
明日は金曜日だから、条幅5体を書かなくっちゃ・・お腹にタオルを当てて・・でも寒いんでっす、今もストーブ前に座り込んでいます。
 
午後から「アッシー」の依頼があり、お彼岸のお買い物とのことでしたが、実は別の用事が主流で、あっちこっちを渡り歩くことになる事でしょう。
(こんな状態で、条幅5体・・できるのかなぁ?)
三時の御茶の時刻を過ぎてもアッシーの出番のお声がかかりません。
(出掛けないんだったら、大物5体を書かなくっちゃいけないんだけどなぁ・・)
 
 
十周年追悼式・・・いまだに「震災による行方不明者は2525人」とのこと。
一か月前に、遺骨になっていても着衣までしっかりとした姿かたちで見つかった方の身元が分かり、身内の方に渡されたそうですから、まだまだ現在進行形なんですね。
ドラマ「朝顔」でも、お母さんのご遺体が見つかった設定でのドラマ進行になるらしいです。

3.11の記憶は、山際に住んでいる私にとっては奥羽山脈でワンクッションあって「他人事」っぽかったのかもしれません。


夕ご飯を早めに済ませて、ストーブのスイッチを入れて、ようやく半紙・臨書研究科を書き始めたら、途端に友人が来て、途中で書くのをやめました。
こうなると、明日の午前中のみで、何枚かけるんだろう…
寝坊もしたいし、無理っぽいなぁ><:)
 
 
ところで、5回とか6回とか接種できる注射器の調達がどうのこうの・・という話題が出ていますが、これって、同じ注射針を複数人に使用する・・ということなのでしょうか??
今どきは、B肝やC肝の感染の心配とかはないのかもしれませんが、いやだなぁ。
 
本部の先生から勧められた字典ですが、今までいただいて貯めていた図書券で買えるお店でないといけない・・ということで、すぐに届くネット販売・購入ではなく、移動途中の動線上にあるお店に支部長の分と私の分の注文依頼をこの前にしてきましたが、二週間ぐらいかかるんだそうなんです。
忘れたころにやってくる‥っていう言葉って、いろいろな意味があるんですね