さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

六月になっちゃいました!


学生部=子どもたちの習字教室の話ですが、この前のお稽古は、生徒数の半分を占めている6年生の修学旅行の帰宅日と重なっていたので、低学年ばかり少数で、重点的に個別のお稽古ができました。ところが、みている間は大丈夫なのですが、目を離すと・・・なんだかねぇ「元の木阿弥」みたいな状態でした。(ざむねん)
側についている間は、ちゃんとできるのに、離れたらすぐに忘れられて、自己流になってしまう・・・もっと指導の徹底が出来たらよいのでしょうが、私にはそこまで「指導者としてのインパクトがない」ということのでしょうか。昔から教える内容は一貫しており、ずうっと「基本的なこと」しか子どもたちに求めていないツモリなので・・・忘れられないような指導力が不足しているのでしょうか。私自身も、自分の作品を書いて書いて書きまくり、書道の実力と指導者としての自信を上乗せしないといけないのでしょうか。
ただ、低学年は、集中力が持続できずに簡単に切れるので、どうしても《短期決戦》にしないといけないようです。書き終えた作品と子どもの態度で判断して・・お釈迦様の手のひらのような世界観で「手玉に取る」ような力が欲しい・・と思うこの頃です。

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あつさまけ・しちゃうのかな・・わたし>< この頃、ついていけないもんなぁ、体力とともに

ところで、12月31日を「大みそか」、1月1日を「元旦」というように、今日の日の言いかえっていうのは無いものでしたっけ?旧暦で表していた言葉を、太陽暦新暦に当てはめるものなのでしょうから、きちんと新旧が組み合っていないと、そういう単語があったとしても、今の時代ではいわないのでしょうかね。「気象記念日」「電波の日」これしか見つけることができませんでした。そうやって、どんどん単語が消えていき、新しい言葉が生まれていくのでしょうか。昔は1と6の日が休日で、曜日で休む習慣はなかった・・・とか、テレビ番組から教えていただいた情報がいろいろ・次々にありますので、その都度、頭の片隅に組み込んでいきたいと思っています。こういう情報の組み換えがいつまでできるのか・・・新しい情報を入れる力が、どんどん無くなっています。

できれば「とし」は、とりたくない・・経て、生きていたいものです。