さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

消耗品・考

今日、食べ終わった弁当の容器を捨てるときに、輪ゴムでくくるのか、ステプラーで蓋を止めるのか、その選択に躊躇してしまったのです。
容器によってはそういうモノを使わなくってもよい、ワンタッチ開閉の容器もあるのだけれど・・・それさえも、ちょこっと一瞬に使われて捨てされるモノや、二度使いされるモノ、繰り返し使いされるモノも、あるんですよね。
捨てられるために生まれだされるモノもあれば、保管するために使われるモノもあり、同じモノでもちょこっとしたタイミングのずれで行先が異なる訳で、そのちょっとした違いで・・運が良ければ博物館で永年保存されるものもある訳なのですよね。

人間の職業に、貴賤の区別なし・・と教えられたけれど、天皇の料理番というテレビを見ていたら、人間の生まれ・・というものを考えてしまったという私なのです。
確かに、だれもが「生まれてくる親を選べない」んだけれど、その出生の時期だけでなく「生まれた段階で、その人の一生が制限されている。」っていう事も「ある」ものなんですよねぇ・・そうじゃないですか。

昨日、究極の質問に答える・・という感じのテレビ番組を見ているときに、放送から入ってくる情報に対して「考え」ても「考え込む」という事はしなかったのですが・・・
「どうして勉強しないといけないの?」うん、そうね・・・ふなっしー、そのほかの「たくさんの引き出し」の考え方に賛同します!
「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問については、TV版 相棒の「なんちゃら・教授の最後の授業」という二回に分けた放送の後半の回の、そのまた後半を見ないでしまった私にとって、いまだに回答をいただいていない気分なものですから・・・それにしても、戦場カメラマンなどの方々のお答え・・・ご自分で導き出した方々を「すごいなぁ・・」と、思いました。
最後には自分が下した結論が、一番納得のいく事柄なんですものね。

私が、私として導き出す結果論・・・うむ、どういうふうに・・何をするのでも、毎回毎回が選択肢の連続で活きているような気がしてきました。
♪じんせいなんて、ららっら~ららら・ら~ぁら・・・・・むずい?めんご

夜になり、戦後70年・・ということで、特集が…ここ数日、そういう内容で続いています。
我が家でも、父の弟が戦死しています。
貧乏人の子だくさんな家だったために、出征する時には「俺が死んで、アバ(方言で「生んでくれた親=母親」)に、持ち家と墓を・・」と云って出て行ったのだそうです。
特集が組まれる対象の…飛行機で突っ込んでいく特高とかいう「かっこいい=相手をやっつけるために真っ直ぐ突っ込む」という直線的な死に方ではないハズです。
なんせ、所属先は、地べたを這って進む戦い方の陸軍だったそうですし、お偉い立場ではなく=身分の低い兵隊だったと思われますし…最終的には南方の野戦病院で、この暑いさなかに亡くなっているので、どれだけ最期は…どんなに苦しみながら(のたうちまわって)逝ったことなのでしょうか。
特集を見ていたら・・・なんだかね、特高の兵隊さんたちの死に方は、今の「ゲリラ自爆」とは、少し違っていて、日本史で「お家存続のために」切腹するとか「その先に死が待っている」のがわかっていて、それでも行われた「赤穂浪士の討ち入り」のような感覚なようにおもわれてきました。
そういう日本史に出てくる「お家を守るために行きつく先」…そういう歴史観の先にある死に方…あのころの若者の死に方には、そういう感じだったのではないかと思われます。
戦争に行く若者の気持ちを理解できないまま育ってきたのですが、このごろの特集を見ているうちに、戦国時代のオノコの生き方と同じ・・という考え方をしたら、なんとなく、その時の若者の心境が、どういうものだったのかということが理解できるような気がしてきました。
まぁ、そうはいっても、本音では「自分自身が一番大切」だから、人様のために死ぬ気はありません・・がね。