さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

月曜日

三関の桜んぼう屋さんに、ようやく連絡がついた。
やはり、この間の雹にやられたらしい><
これから傷んだところの処理として、摘果作業をして、なるべく頑張りたい・・とのこと。
私の「都会に住む人たちへの送付分」は、なんとか確保してくださるツモリらしい。

Facebookに掲載した方々の粒の大きさを見たら、その量も多く、それに伴う被害のひどさがわかる。
きょうの帰宅時のFMラジオでは、湯沢の小町の里にシャクヤクがない・・ということは、
どいうことなのか・・・その意味を伝える報道をしていた。

この時期には、天候不順が多くあり、昔の東北では「けかち」などとなり、飢饉があったりしていたらしいし・・ね。

農業で生計を立てている人・家庭・世帯では、経済的な趨勢が大きくあり、マイナスの年には大変みたいだね。



うちは、漆器製造販売だったから、仕入れをするだけで、現金収入が一切ない・・・という時期もあって、子育ての経費に事欠くような状態にも・・・学校に収める経費が何とか頑張ってくれていたが、小遣いらしいものをもらうことはほとんどない・・という生活を経験しているから、今どきの子の貧困は、全然「みじめ」とは感じない・・そんな私がいることは確かである。
貧困の質と、周りの人たちの生活レベル=環境が違うのだそうだ。
やっぱり、よっぽどのことがあっても、そういう「困難」を理解できないような気がする。

私は周りの子よりも身体が小さかったし、なにかあっても感情が言葉にならず、そのために異論を唱えたり口答えすることもできずに、ただただ、めそめそ泣くしかできなかったから、細かいことから始まるいじめやシカとトも経験しているから、今どきのいじめを受けている子の泣き言にも「具体的にいじめられている間はきついけれど、シカトしてもらえるところまで行くと、楽になれるよ!」という発言をして、義務教育を受けている最中の子にあっけにとられてしまったこともある。
その子と話をしていったら、私の受けていたいじめのほうがあまりに露骨で具体的だったらしく、逆に「なんぼ、なんでも、そこまでは、されていない。そこまで、私の周りの人はひどくない。」って、ビビられて、キレられてしまった。

学校の先生は、大学まで行かせてくれる親もいて生活に困ることもなかっただろうし、勉強が頭に入らない状態に陥ったことがほとんどないような人が多く、子どもが「学習内容を理解できない」という状態がわからないという健やかな生活ばかりをしてきた人たちみたいね。
いまだに、言葉による指示に対して、その意味を、チャンチャンとはつかみ取れない私・・・もしかして、今の時代に生まれて育っていたならば、いろんな身体状況や精神的なものに対して、その症状全部に病名がきちんとついて、ものすんごい「病気持ち」になっていたらしい。

そういう状態で生きてきたことを活かして…そういうことは自慢にもならず馬鹿にされて終わる人生を送って終わるのが私の人生らしい・・・華咲くことなく終わる人生・・なんだかなぁ、さみしいなぁ