さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

あのね・・・

むかし、教科書に載っていたような気がするんだけれど・・・
 
その昔は、人間が自然と共存していて、
水辺にすむ人たちは軒先に船を吊っていて、
非常食もその中に入れていたような・・ことを
習ったような気がしたんです。
 
現代の家には、そんな工夫は・・・見受けられませんよ・ね。
建築の段階で、そういうことをしなくなったっていう事って
       自然界を甘く見ている=人間の「おごり」
なのじゃぁ、ないのかなぁ・・・
な~~んていうことを、
考え込んだ、今日この頃の私なのでした。
 
検索しましたよ・・・「上げ舟(船)」って言うんですって。
水害時に利用・・・母家等の軒下に吊るされているの・よ。
 
詳細に調べていくと、下記のような内容でした。
 

木曽三川校外学習その2
4年2組バージョン
土地と川の高さのちがい
木曽三川公園のあたりには,昔から大きな三つの川がありました。三つの川は,水面の高さが違っています。木曽川が,一番高く,次に長良川揖斐川という順番です。そのうえ土地の高さは,川よりもさらに低くて,雨がふるとすぐ洪水になるのでみんなこまっていました。それで,土地のまわりをていぼうでかこんで,輪中をつくりました。そうしてこう水をふせごうとしました。
普通は川のほうが低いのに,遠足に行って見てみたら,本当に川のほうが高くてびっくりしました。
  
低地の人々はどれだけ大変だったのか?
  低地の人々は,洪水から命や財産を守るために,いろいろなくふうをしながら生きてきました。
  堤防を作ったり,水屋を作ったり,助命段を作ったりして,洪水に備えていました。堀田では,洪水になるたびにせっかくのお米を失って,とても苦労してきました。また,人々の家は,なるべく水につからないように家を石で高くしました。さらに,のき下には,上げ船を用意しました。
  今このように,洪水のひがいが少ないのは,昔の人たちが三川分流など命をかけて工事をしてくれたからです。私達は,昔の人々がこのような苦労をして村を守ってくれた事に,感動しました。
 
水害って、なーに?
   木曽三川の集まるあたりでは,毎年のように水害がおきていました。
  水害は,輪中の人々にとって,恐ろしい事です。大雨になると,木曽川長良川,いび川の水の量が増え,洪水がおきます。その水は,輪中に入り込み,家や田や畑を,こわしていきます。明治29年には,大垣藤枝で,大洪水があって,その後,水が家の半分ぐらいまできてしまってほとんどの人は屋根の上に避難しましたが,また洪水があると家が壊されてしまうから大変でした。昭和27年6月24日ダイアナ台風による洪水では,長良川の堤防が約50メートルこわれ,高須輪中が水没してしまいました。なくなった家が3193件,ひがいは約7億円にもなったそうです。水害とは,輪中の人々を苦しめているものなのです。
  堤防は,こわれたりもしたけれど作り直し,今でも堤防で輪中を守っています。

水屋って、なに
   水屋とは,昔,輪中の人たちが,こう水などから命を守るために考え出したひなん場所です。水屋は石垣の上にあって,石垣は母屋の屋根ぐらいの高さです。水屋の中には,食料の米やまきなどがあります。きっと,ひなんしている時,料理などを作ったり,明かりをつけたりするためだと思います。また,着物なども置いてあって,トイレもありました。こう水になって,村が水びたしになったとき,何日もそこですごせるようになっています。
  昔の人々の知恵には感心しましたが,こう水がおきるたびに母屋を捨てることになるので,たいへんだったんだなぁと思いました。

上げ船って、なあに?
  上げ船は,水害になった時,すぐひなんできるように家の軒下につるしてある船です。
  命を守らなきゃいけないのでしょうがないこととは言っても上げ船を使うと言うことは,家を捨てると言うことだから,とてもつらいことだと思います。昔の人は,堤防工事や三川分流工事などをして少しずつ水害をへらし,今では水害もほとんどなくなりました。