さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

冊子掲載

ロングライフという冊子が届き、書道部門の表彰作品の中に「車魚之嘆」に「あれ?」って思ったの。
学校の授業でね、ながーい文章の途中で、その前後は音として好きじゃなかったのですが「ちょうようよ かえらんか」の繰り返しで、なんどめかに「いずるに くるまなし・と」・・ここの部分は、なんとなく言葉の調子が好きだった・・っていう記憶があって、でも、パソコンで漢字変換できない・・・これって、古文じゃないよね?漢文かなぁ・・・またまた検索に次ぐ検索(すげぇ、時間の無駄遣い><:)・・ようやく、ありました!
 
〉 「車魚之嘆(しゃぎょのたん)
〉「長鋏よ帰らんか」とも言う。
〉  食客(居候)が、待遇の悪いのを改善してもらおうと態度で示しての嘆き。
〉  一つ望が叶えば、また更にその上を望むことを謂う。
あれ?・・・私が覚えている内容と、方向が違う・・おっかしい ?O?)
すみまっせん…もっと、深みにはまってしまった…再度・検索!
 
斉の孟嘗君(田文)余禄 斉では湣王が殺害された後、襄王が即位した。
>その頃 孟嘗君は自邑の薛で独立して、諸侯の一人となっていたが、斉の国都・臨淄に住んでいた。
>孟嘗君食客三千人を抱え、「名声諸侯に聞こゆ」と謂われたが、その食客の中には風変わりな者も少なくなかった。
>その内また一人、尾羽打ち枯らした風来坊が転がり込んできた。
>其の名を馮讙(ふうかん)という。 ※「戦国策 斉・閔王」では、馮諼(ふうけん)という。 
 
あらぁ、だんだん中身が、そういうながれになってきたぞ・・ふむふむ・・続けて読んで、納得=すっきりしました。
私が授業でやった内容は、アチラこちらが理解できていなかったらしく・・・まぁ、そのレベルでしか読解力が無かったンでしょうね。歴史にも疎いんだし >< しょせん、ちゃんと理解出来る訳はなかったかぁ。
でも、そのころに試験代わりに「空読み」をさせられたから、おぼえていたのネン。
 
・・・え?私の生まれ??  けっして、江戸時代ではありません!!  ねんのため、いっておきます!
 
 
午前中に電話が入りまして「仏送り」があるそうなので、明日は、まるまる一日のお休みをいただきました。
私用が多忙で、時間的にきつくって・・・無駄遣いは「いけないこと」なのですが、この際、お金をかけて(=つかって)手間を省き、ちょびっと楽をさせていただくことに・・え~ぃい、しますか~ぁ。
「もったいないオバケ」が出てくるかもしれないけれど、しゃあないネ ><
 
今夜は(用事が済んだ後も含めて)我が家に「誰も、来るな!」よ~!!
だって、ちゃんと、寝たいんだ・モン。
 
あ・・・「掲載」ですが、苦労している「仮名」部門・・・半紙が、写真版になりました。