さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

samui

おきてすぐに、すとーぶを、つけた・・・からだがひえきっており、ふとんからぬけだしたら、てきめんに、ひえ・あったかいたべものだけをたべても、さむい。
はんそでをきてたんぱんのひともいるというのに、わたしは、かさねぎにつぐかさねぎ・・てあしはつめたく、あついくつした・・・とおもったけれど、あっぱくする・・・「ちゃくあつ」とかいうタイプのものをえらび、むくみぼうしと、のうひんけつよぼうをかけて・・・それでも、ひんけつっぽいのは、けつあつがひくいから・・なのだろうか。
すとーぶのまえにいると、かじかんだからだがゆるみ、きつくは・なくなる。
それでも、せいざしているためのふっきんと、はいきんにちからがはいらないから、こまったものである。
まふゆのかっこうんぎゃくもどりしたほうがいいのかなぁ。
ごぜんちゅうは、・・・ねむれなかったから、ほとんど、といれにおきたじかんいがいは、ねていたから・・たいないどけいのじこくが、おもいっきりずれている。
ゆあたにはいしゃさんにいき、そのご、しゅうじのきょうしつにいかないと・・・
さっき、ふけいさんかられんらくがはいり「あす、えんせい・しあいがあり、そうちちょうにでかけるから、こんやはやすみます。」とのこと。
せいしょびじゃないし、さいしょの「おてほん」と、ほんぶからの「きょうしょのほん」は、すでにとどいているのだから・・
・・あ、わたしの、ぜんしよこはんぶんのさくひん・・・いちまいもかいていなかった><
こどもたちのことばかりではなく、じぶんのさくひんれんしゅうにも、ちからをださないと、いけないのだが・・・・それにしても、こんなにも・なんにもできなくなっちゃうものなんですね、よわいをかさねるということは。
はいしゃさんで、からだがこわばったなら、すじが、つりそうなよかん・・・ねているあいだにも、そういうじょうたいが「ひんぱん」におこっていて・・しんたいのあちらこちらのすじが、くるしい。
こどもたちが、にぎやかにそとをはしりまわっている・・・えがおをむけてくれるが・・・なんだかしらないが、なみだもろくなり、なきたくなってくる・・そんなじぶんに「のこっている」のは「れんびんのじょう」なのか、じこあい・なのか・・・ひげきの「ひろいん」にもなれにくせに
よのなかは、おだまきがさきおわり・・・たんぽぽは、ずうっと、さいている。
そういう「しっかりした・ざっそう」にならないといけないのだが・・・はながさかず、みもならないわたしには、なにものこっていないのだろうか。