さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

今日は「第一次世界大戦の日」だそうです

今、あなたは幸せだと思う?・・が、今日のお題とのこと
 
 
うちの親たちは、散々苦労した世代ですので、
その親たちに「自分たちのような苦労をさせないように・・」と、
守られて育ってきたのは…幸せなんだと思います。
 
 
高度成長期の前の「戦後といわれる影響が残っている苦難な時期」を暮らしている方々を見て育ちました。
古民具の展示館に行っても、親たちが使ってる姿を見ていた世代ですので「珍しさ」ではなく「懐かしさ」を感じます。
 
妹たちは、高度成長期のただなかで、一年ごとに社会状況が変わってきている時期に育ちましたから
経済観念からして、常識的な事柄が、まるっきり違っています。
昭和の戦後期は、最低賃金が、刻々と・どんどん上がり、物価も高騰するような時期でしたね。
 
 
第一次世界大戦って、第二次世界大戦赤紙徴用の切なさとことなり、
日本国内からは、あまり戦地が身近ではなくって、職業軍人や志願兵の時代・・
たぶん、うちの叔父さんは、昭和15年に戦死とのことだそうで、その合間の戦争で戦死をしたのかなぁ
戦死を知らせる紙だけが入った空の木箱が、各家庭にまだ届いていたころなんだと思います。
大々的に、名誉の戦死として、祖母は「英霊の母」として扱っていただいたようです。
都会では・・世の中は、提灯行列があって、景気が良かったころ・・・なんでしょうね。
 
 
戦争の悲惨さを、話だけですが、聞かされて育ちました。
 
 
いまどきの子のありよう・親に対する態度を見ていて、ため息が出ることがしばしばあります。
いじめ問題などいろいろな心から起きる問題の中で生きているので、大変な部分もあるのでしょうが、あの頃の貧乏の度合いを考えたら、今どきのスマホを与えられているような子は、贅沢だと思うのですが
給食だけが、一日の栄養源で??・・・・少し上の年代には、普通に、そういう子どもが何人もいたような記憶があります。
私たちの学年は少なかったみたいですが、生活保護で支給されているはずの給食費でさえも滞納しているなんて、当たり前で、日銭が入ってきていなくって、納めることが出来なかった家もあったみたいでした。
 
土方だけでなく職人が多い地域ですから、そういう日銭稼ぎのお宅と、公務員などの給料取りのお宅や「親方ヒ」といわれて人を雇っていたぐらいのお金持ちとの貧富の差が、とても大きかったですものね。
 
むかしは、そういう栄えた家であっても、今になっては住む人がいなくなり、ひっ迫しているお宅が増え、更地も増えてきています。
 
雨・・・止まないですねぇ…湿気がひどくって、つらいです。
大曲方面だけでなく、横手市にも、大雨洪水注意報が出ているようです