さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

今日は献血記念日

献血したことある?・・・が、お題

 
ふっふっふ~~ぅ
 
献血者のお手伝いは、もう・長年従事しては、いたんですよ。
確か、感謝状も大きいのをいただいているはずです。
 
じつは、私は、お医者様の処方箋による薬がずうっと入っている身体なので、私の血をもらう患者さんが迷惑する・・・という主治医の指示で、できないことになっています。
 
平成の大合併の少し前までは、うちの地域に献血車が来るたびに同行・協力していました。
 
その頃と今では、設備の進歩もあり、献血基準の変化もあって、大きく変わりましたねぇ。
 
巡回車で来ていた担当の職員の方々も代替わりしてしまって、知っている人が、全然いなくなってしまいましたからねぇ。
 
色んなことがあったなぁ・・・針を刺したりする医療行為はしませんでしたが、勧誘をするだけでなく、看取り的な付添・同行と随行は、ずいぶんとしましたよ。
自分の血が管の中に入ってきたのを見て貧血を起こす人もいたし、寝台から待合の座席に移る途中でふらついて倒れそうになって・・・あのまんまでは頭をぶつけそうだった方の危機回避もさせていただきました。
 
毎回、協力しに来てくださるのですが、白衣をみると血圧が一時的に急激に上がったりする・なんちゃらいう症状の方もいらしたし、血液濃度(比重)が微妙に薄くって、何年間かで一回しかできない方もおられましたし、体重が足りなくって、ダメな方もおられました。
 
血管に針が刺さりにくい方もいらして・・・それが理由なばかりではないのですが、200㏄希望の人はなるべく減らして、4000㏄献血成分献血を御願いする方向に流れが移りました。
 
二十歳の献血・・・うちの地域では、難しかったですわぁ。
子どもの数がどんどん減っているので、親の同意書を必要とする高校生の数も減って、なかなか協力していただけなくなってきている上に、秋田県の成人式は、ほとんどが夏場・8月15日だったし、その日程が全県的に重なっていますからね。
協力企業の従業員・職員の高齢化もあって、協力していただける企業・団体も減ってきていますから、田舎回りも大変なのでしょうが、献血車は、単純に血液集めをするだけでなく、血液の大切さもPRしないといけないという使命があるそうなので、過疎化が進んでいるこれからでも、回るらしいです。
 
私の決め言葉・・・
献血は、人間だけができる”尊い命の助け合い”です! 皆さんのご協力をお願いいたします!!!
この言葉と、その年に選ばれた標語などをマイクで伝えながら、献血のお願い広報活動をして回ったのですが、今は、そういうことはしないようです。
保健所の職員さんは、会場となる企業や会場にお手伝いに行っているようでしたが。
 
私がお手伝いをしていたころ、うちの地域では、達成率が高いから、血液回収車がこまめに秋田市のセンターと会場を往復してくださっていました。
手術があるので、この血液型をこれだけほしいから・・と、少し待っていていただいて、ボックスに詰めて持って行くこともありました。
大きな手術があるときに、秋田県では何時も足りな過ぎて、山形県から血液を借りることも多かったようです。
当初は秋田大学付属病院や日赤病院だけでしたが、脳血管センターとか、大きな手術で多量な血液を必要とする病院がドンドン増えてきていましたからね。
 
あの大きい車・・・以前にも書いたかもしれませんが、定員数が少ないから、大型バスの運転免許を持っていなくても運転可能なのだそうです。
 
今、コロナ禍で、企業回りも出来なくって、血液が集まりにくいそうです。
 
手術前に本人の血液を少しずつ採取しておいて、それで済ませる方法だと、拒否反応が起きないからとてもいいらしいのですが、準備に時間がかかりますから、いまだに・・人工血液で完全に代行できるところまで、まだ科学技術は進んではいないのですものね。
 
昔の日本赤十字社のポスターなどをたくさんメモリに落としておいたはずなのですが…みつからない><
日本赤十字社らしき名称記載のあるフォルダーが見つからないから、職場から情報の持ち出しをしなかったのでしょう。
あれは、個人的に昔からのポスター画像を収集しておいたものなのです。
ジャニーズの方々の若かりし頃の姿があったり、ピンクレディとか、いろんな芸能人の方々が協力してくださっていたので・・
あれらを、さかのぼってみられない・・というのは、とっても残念ですTOT;)