今年の抱負を宣言しよう!
また一年、無事に生きて行く事・・それだけ。
多分「まるっきり無事」ということは無いという人生なんだから、何かしらのことが起きたとしても、乗り切れるレベルであればよい方なんだろう・・・と思わないといけない・・ということは、判り切っています。
あけましておめでとうございます!
御蕎麦も食べて、みんなで年越しが出来て、新年を迎えられたので、もう、寝ます・・寝たいのです。
本当は、昨日の鍼灸治療の後にひと眠りしないといけなかったのですが、そういう状態には慣れなかったぐらいに誰かがいて緊張感もあったので、いまだに眠れていません。
年越しを一緒にした皆・メンバーさんが忘れ物をしないように送り出し、
テーブル・ちゃぶ台の上のモノは何とか片付け終わり、
そのテーブル・ちゃぶ台や、小さい机類もようやく寄せ終わりました。
流し台の中には、まだまだ洗い物の器類が残っていますが
天気予報「雨が雪に変わる」という元日の降雪に備え
不凍栓で水落としをしてしまっていたことに、
片付けの後で気がつきました。
おやすみなさいませ。
ひと寝入りしてから、ゆっくり起きて、
年賀状のご挨拶とあて名をかこうと思います。
東京の日の出は06時50分らしいですが、秋田県県南のこの辺ではずっと雨降りが続いていて、それが雪降りにかわる・・という予報もあったので、お天道様はよほど高い山の上・雲の上に行かないと拝めないことでしょう。
テレビでは何かしらの番組が引き続き放送されていますが、そろそろ丑三つ時が過ぎるころになりましたので、少しでも眠ろうかと思って睡眠導入剤を服薬したのですが・・
なんだかねぇ・・・いつになったら眠れるのか
布団に入っても、寒いので石油ファンヒーターは12度設定で稼働したままでいたら、ふっと05時頃から三時間ばかり眠れました。
その間意識が無く、記憶が飛んでいるのでそうなんでしょう。
その間意識が無く、記憶が飛んでいるのでそうなんでしょう。
身体が・・特に頭がだいぶ楽になりました。
朝起きがけの水道水を飲んで「若水を組むときの言葉って、なんだっけ??」と思い、PC検索しました。
「福くむ、徳くむ、幸いくむ」 または 「こがねの水くみます」 などが見つかりましたが、私がかすかに記憶しているのと何となく違います。
こういうのって地域毎とか家毎とかで違いがあるものなのでしょうか?
私がこういう言葉がある事を覚えているのは、親から教えられたのではなく、茶道を習ったことによるものなので、先生のお宅の組み方を教えられた可能性もありますから、何とも言えませんね。
私がこういう言葉がある事を覚えているのは、親から教えられたのではなく、茶道を習ったことによるものなので、先生のお宅の組み方を教えられた可能性もありますから、何とも言えませんね。
テレビでは四国のお遍路さんの旅について、いろんなお寺さんを紹介しています。
うちの地域では、他界した方の供養に「補陀落」という共同作業が行われていました。
これは一般的な仏教宗教の作法には無いもので、土着の作法らしいです。
各お寺の特徴をほめたたえた言葉でお遍路さんをするように、紀三井寺のところだけ二回から三回繰り返すのですが、集落ごとに御作法や語彙に微妙な違いがあります。
ただ、少し前から廃れてきていた上に、コロナ禍があって、人が集まってはいけなくなってしまい、コロナが5類に移行した後でも、小規模に行う家族葬が一般的になったこともあって、故人の供養をするための関係者で成る人を集める・集まるのが必要なこの作業を行うお宅が無くなってきています。
お正月からこのような話をするのは不思議に思われるかもしれませんが
「正月(門松)は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という一休宗純 ・一休禅師の言葉が有名なのですから、不謹慎な内容ではないのだと思われます。
半世紀前に他界した私の父は「葬儀はしなくとも補陀落だけはやってほしい。」と常常云っておりました。
あの頃は、百万遍のこけし数珠も長くなりすぎて二つに分けられて補陀落の冊子と共に2セットに分けられ公会堂に保存されていますが、これから先はこれらを活かすことは急激に無くなっていくのでしょう。
半世紀前に他界した私の父は「葬儀はしなくとも補陀落だけはやってほしい。」と常常云っておりました。
あの頃は、百万遍のこけし数珠も長くなりすぎて二つに分けられて補陀落の冊子と共に2セットに分けられ公会堂に保存されていますが、これから先はこれらを活かすことは急激に無くなっていくのでしょう。
さて、
昨日のうちに食べるべきだった一人分の御節でも朝ごはんとして食べて、