さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

お土産をいただきました

今夜は「雄勝の花火大会」です。
石で有名な「おかち」・・ではなく、小町塚のある「おがち」・・です。

この週は、ディズニーから帰ってきた方がお土産をくださったので…昔(初めてのディズニー)の話になりました。

さっき、アルバムを出して調べてみたら、昭和48年7月2日に、ランドに行っていました。
(ちゃんと調べてみたら、東京ディズーができたのが1983年なので、昭和58年の間違いでした。・・・え?でも、そんなに「出来て間もなくの頃」に、私・・行ってたの?うっそー!! イマサラ・・なんだけれど、びっくりしちゃった。)
もちろん「舞浜」なんていう駅は無く「シー」もありませんでした。東西線に乗り・・どこの駅で降りたものか、もはや定かではありませんが、とにかくその駅の近くから出ているシャトルバスのようなのに乗り、行き着き先で降りて、そこから、下りた方が全員歩いていく方向にぞろぞろと・・とにかく「ついていけばいい」とばかりに(炎天下っぽいところを)列をなして歩いて行ったような記憶が・・。
園内でも、今のように「入場料を払うと地域内のどこにも行ける=乗り物などの施設を利用できる」というものではなく、利用ランク別チケットがあって、その見合った数だけ利用できるというセットされているモノ以外は、追加でチケットを購入・・というノンでした。(追加チケットを買う余裕はなかったわぁ、私、ケチだから><)

宿泊先は・・・日本青年館・・え・・あら、新宿区霞ヶ丘町ですって・・・代々木にある施設で、大広間に雑魚寝で泊まったと思っていたのですが、こうなると記憶って・・・あいまいになってしまっています。
少し紫色に変化した青焼きの湿式コピーの用紙によると、13名ご一行だったらしいのですが・・・アルバムに貼った写真の脇にある書き込みによると、どなたかだったかが、そこから親戚の家に直行した記憶があり、ディズニーに行ったのは「男5名、女7名」と書いてありますから、間違いなく12人・・まぁ13人が行ったのだとすれば、大型バスではなくマイクロバスで、男子のうちの大型自動車運転免許を持っていた方が複数いらしたのでその方の中から何人かで(たぶん、行きと帰りの一人ずつ・・・だったような)運転していったものでしょう。
そうそう・・到着時刻がおしてしまったので、シャンシャイン60の展望台に上れるかどうか・・で、幹事さんとけんかしたという記憶が戻ってきました。せっかく、ビルに、駅からタクシーで着いたのに、チケット販売窓口が閉まってしまったので「からもどりしよう。」という男子に対して、そのチョコット前に一度だけ行ったことのある私が「自動販売券の機械で買えば今からでも登れるし、30分から一時間ぐらい居ることができるンだから。」って言いはって・・・最後の一人分が機械の販売終了制限時間ぎりぎりで間に合って・・・そんで、階段も無理なので、小さなエレベーター・・全員は乗れない大きさなので、何人かずつに別れて登っていった・・ということもありましたっけ。
上にいったら、売店が次々と閉まっている本当にそういう最中でして、刻印のできるコインの機械とかも錠がかかって止まっており、お土産も買うことはできませんでしたが・・・・窓ガラスに印刷してある案内図を重ねて見て、こんなにも「ぐるっと一望できる」ということに感心したんでしたっけ。

二日目が、渋谷NHK、ディズニー行き・・・アメ横方面にもいったようです。
写真の服装を見たら、Tシャツにサブリナパンツ+バックバンドのヒールサンダル・・・もどる時には(ディズニーのお土産袋を前にして並んでいましたから間違いないんでしょう)地球儀のあるガーデン前で記念写真を撮ったようです。

三日目は、原宿・代々木などと書いてありますから、その時に歩いたところが泊まり先だという記憶にかわっているのでしょうか・・・確か、帰宅のために、車が置いてある場所に全員集合・・というような記憶がありますので。

若かったあの頃・・・そんなもんでしょう・・同じくらいの年代の方々が、孫の話をする年齢になりました。
私は、ずうっと変わらず・・・ただ、親たちを看送った・・ということだけ・・・ナンなんだろうね、私の人生=存在ってナンなんだろうか、ねぇ。
そんなことを考えている間に(時間がもったいないから)まずは、車の定期点検に行ってきます。
帰宅したら、夕方からは学生部の習字教室となります。
・・・じゃ、七夕も終わったので、混雑していない街中をかけ抜けることができるでしょうから・・・行ってきます。