さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

もしかしたら

疲れ果てていたが、自宅に戻って、パソコン検索で「維摩経」と入力して、その内容を覘いてみた。

現代訳のhttp://が見つかり、テレビで見たような内容のやり取りが出てきた。
根本的に・・・最初から、はじまりから・・というのか、現在の位置的にも、
みんなにいろんなことをしてあげられるだけの資産家であって、
お釈迦様が「位の高い出身のお方」であるのに対比した
「理屈の強い在家の人」とみる、弟子たちの対応・態度だったようなんだぁね。

なんとなく、一語いちご、ごもっとも・・で、すんごいなぁ・・とも、テレビを見ていておもっていたし、
「俗世間にいても、修業はできるものなんですよ。」という言葉に、
宗教嫌いの私が強く反応し、納得できたこともあって・・・で、
そういう言葉がポンポンと口をついて出てくるような人としても、
そういう風に正義を貫ける人生に、ものすんごい「憧れ」があったんだけれど、

お釈迦様の弟子たちには毛嫌い(疎まれて)されているような‥ん?

弱っちい私は、今まで出会った方々に守られて・・そうやって、なんとか・・・
いや「それ」だけで、生きてきたような・・ただただ「人格ある方々」に恵まれていただけ!?

じゃぁ、どっちが、どっち??
どっちが、しあわせナン?

私が、こういう情けないような生き方をしているのは、
性格的にも、縁の下の力持ちでしかないのは
「しょうがない」んだろうかぁ。・・・そうなんだろうねぇ、きっと。

明日、出番になりましたから、
今夜、書道を書かないといけないのですが、
気力がありません…ダメねぇ