さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

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憧れる習い事は?

 

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弦楽器は、弦の張り方によって変わる微妙な音の違いが判らないから、
楽器に触れて音程調整をることもできない私に、演奏は無理でした。
何でもいいから、人前で一曲披露できるようになってみたい憧れがありました。
楽器は…実はそういう訳で、実際は何でもいいんだけれども、
ピアノだと、自分で楽器の持ち歩きがなくてもいいんだから
鍵盤楽器ができるようになるのが一番良いような気がしました。
 
それで、実は、間もなく退職する頃に、仕事で演奏しなければいけなくったこともあって、大枚をはたいて電子ピアノを購入したのです。(20万円ぐらいしたような記憶があります。)
自宅にあったオルガンを習っていたのは妹たちだけだったから、私は引ける訳もなく、私は、妹たちが使い終わったバイエルなどを借りて自主練習をしたけれども、オルガンのキーボードを押すことも、ピアノの鍵盤をたたくこともできなくって、誰でも引けるっていう話のある「猫ふんじゃった」さえも覚えられなくって無理なので、なんにも、まともな一曲の演奏を出来なかったんだぁなぁ。

だから、職場では鍵盤の根元付近に目印シールを貼って・・・終礼っていうんでしたっか、あの音の和音を鳴らせるようにして、仕事を何とかかんとかこなすよう努力しました。
 
事務仕事が主流な私なのに現場に出されて、デイサービスで勤務していた時に、「一年かかって一曲引けるようになる」っていう目標で習っていらっしゃった方が、発表会に孫さんのような子どもさんと一緒に出演なさったそうです。
私には、一年で一曲さえも、人前で引けるようになるのは無理です。
なにせ身体で覚えるのは、人様の何十倍も練習時間が必要ですから
 
児童館勤務の時には、朝の歌とお帰りの歌、終礼の音が必要だったのですが、
全部、鍵盤の数の手抜きで、何とか使える程度の曲を仕込んでいただいて、
自宅で練習して、少しずつ和音の鍵盤の数を増やしていって
一年かかって、何とか子どもたちの歌の伴奏ができる程度にまではなりました。
ようやくそれが出来るようになったら、別の職種に異動する・・っていうことを繰り返されて・・・
今だったら「パワハラ」もいいところですよね。ブラックな職場もいいところですよ。
そうやって、平成の大合併の後は、職場の人員の穴埋めで動かされて苦労しました。
43年間頑張って、身も心もプライバシーの面でもボロボロになったから、職場の人・本部の方からはもう少し頑張ってくれ・・といわれましたが、身内の者たちからは「もう、楽になってもいいと思う」って言っていただき、とつとう辞めました。
 
 
 
さて、今日は旧暦七月十三日 バイオリンの日 秋葉総本社可睡斎奥の院大祭 九紫 先勝 つちのえ・うま 廿八宿は「心」の月曜日
 
 
 
昨日あたりから、二階にいても死にそうになる事はなくなってきました。

昨日も用事果たしの戻りにヤマダ電機ケーズデンキに行ってみたのですが、
冷房機器の残り物は、循環ファンくらいしかなくなっていて

もう、売り場の物品展示は暖房機器に移行していました。
 
 
 
土日に茨城県にトレッキングにいっていた人が帰って来ました。

このおやつのあとに、お昼ご飯が届きました。

これって、届く順番が逆だよね。一瞬パニックになってしまった疲労困憊の私の頭
 
私の人生は、そういう順不同のものをそのまま素直に受け取ってしまう割りには、それに対応するには向いてはいない心身な訳で、かといって正常な順番に物事を成すために選ぶ力を持っていないという変に素直な育ちです。
いつ死んじゃうかわからない虚弱児だったから、生き抜くためにだけいきているんです。
崩れたり倒れる度に、そのままこの世の中とおさらばできたら楽なのだと思ってしまうのです。
立派な勝利をつかみとるような実力が生まれつきは無いけれども、それでも、ただただ負けるのは嫌で悔しいひとだから、今、こうやって生きているのだと思われます。
 
 
秋田市の被災地支援の関係で秋田の団体の電話番号がTV画面に出て来ます。

秋田県庁の電話番号が、現実では018-860-1111が代表番号になっていて、
秋田県社会福祉協議会の電話番号は、018-864-2711なようなのです。

私の頭の中で県庁の電話番号は、いまだに 県庁が0188-60-1111で、
社会福祉協議会も私の頭の中では、0188-64-2711のまま・・といいたいところですが、県庁のように担当ごとに直通電話番号が多数登録されていて、どちらにも、用事の内容に合わせて、担当部署ごとに直通番号を使い分けしていたので、末番「11」に電話したことは、ありませんでした。
 
そうはいっても、県組織の彼方此方に電話を連絡が必要だったのは、平成の大合併の時までで、その後は、男どもに頭を押さえつけられて、身動きできない状態にされていました。
私の人生は、男尊女卑精神によって何もかもが抑えられる人生だったので、それから逃げ出すためにいろいろと足掻いてみたものの、ストレスで精神的におかしくなる前に身体に出てしまって倒れて仕事をやめたのです。
でも、今のように社会的なことで注文・依頼やクレームなどをうまく表現・伝達できない私では、どっちにせよ一人前の社会人ではなかったのですね。