さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

100にち・・あ!

スケジュール管理表を見てから、気がついた。叔母がなくなって、きょうが100か日だったんだった。
「仕事のお休みをいただかなければならない立場の人は、今日は、仕事に行っておくれ!!」というイトコからの連絡があって、インフルエンザで休んだ分を取り戻さないといけない私は、そのお言葉で助かり・・・お休みをいただくはずの日程欄・一個を無言で消した・・・あまりにも・あっけなく消えた。

書道関係は、身体を動かして大物を書く・・どころか、ただ座っているのもつらいので、半紙の一枚もかけていないからなぁ・・・創作=物事を作り出すのは、積み重ねの連続で、きついんだけれど、こういう風な感じの事=内容をチャラにするのっていうのんは、あっけないモンなんだぁねぇ。

自分が息をしているだけで精一杯な感じで・・・このごろ、小学生のように夕ご飯を食べたら早く寝て、朝になったら普通の時刻におきているのに、全身に血液が廻ってくれるまでストレッチをして・・・ようやく・・遅刻すれすれで到着するという日々。
この血行不良は、体力不足が原因なのだろうかぁ?ものをたべることも、生きていくためのエサとなっていて、楽しくないし。「活きているのがつらい」「生きているのがつらい」・・・やっぱり、どっちもつらい><



どうにも思考能力=作業する力が無くって、ネットサーフィン的に資料検索と、編集・プリントアウトだけをしていたら・・・

JAPAN=漆器は、裏山から漆を採取し、石川県で99%作られているという金箔を使っていた昔はどうであれ、今では、漆も金箔も中国製のものを輸入して作り上げているだけ・・なのだから、国産品という標示はおかしいし「ぼったくり」販売製品なのでは?・・という内容の論文があった。
国産の素材にこだわっている文化財の修理でさえも、純粋な日本製の漆では足りずに、海外から輸入した漆を混ぜて使っている・・のだそうだ。
金箔も、よっぽどのこだわりで注文して仕入れているもの以外は、輸入品を使用しているとの話だった・・が

う~~ん、そういわれてみたら、年々・この辺の山の大木も少なくなってきているし・・・かろうじて木材は、この辺の山のものを使っているようだけれど・・・まぁ、大体において、いまどきは、漆も、金も、純粋な日本産の材質なんて、ほとんど産出しないんじゃないの? あ・・・あれ~ぇ????
そういえば・・・うちの親たちが家で使っていた漆の桶(?)の脇腹にも、ベトナムと読めるような漢字の文字とかCHINAとかっていうような文字があったような気が・・・しかも「カシュー」といっていた化学合成漆をでの部品を、一家で大量生産していた御宅では、ほとんどがそれ(カシュー)を使っていて、その薄め液としてのシンナーの臭いが、私が住んでいた地域内に充満していたらしいという記憶が・・。
我が家では、たくさんのカシューを使うほどに塗物を作ってなんていない・・ちまちまと刷毛仕事をしていたレベルの個人企業だったから「フロに、シメシかっておけ!」とか「ウルシ焼き」「かんれいしゃ」がどうのこうの「きじをためておく」とか「さしものし」「きじし」のところに「一竿の半分でも担げ!」とか「お菓子の上箱と下箱を細長く切り取って(クリスマス飾りのような)わっかを何十も準備しておくように」とか、使い方も、その意味も解っていない門前の小僧のままで「ぬりめ」とよばれていた小部屋で漆のカス絞りなどを手伝っていた私の身体はシンナー臭くはなかったらしいけれど・・・大手の仏壇の下請けをしていたご一家の子どもたちは、髪の毛とか体の芯までシンナー臭かったらしい・・・今・・考えると、そうだったんだわねぇ。

さて、記事に戻るけれど、いろいろなこだわりが縷縷あるような世の中になってきていて「うちの親たちは、丁度よい時頃に他界したんだなぁ。」と思うことが度々・多々あるようになったこの頃なのでして・・・今でも店を構えていたり、いろんな商売をしていたら、あの感覚のままでは、物品の賞味期限の問題や雇用問題・・その他いろいろあってさぁ、あの昔かたぎの「信用だけで生きてきた時代」とはまるっきり違ってしまっているのだもの・・・ろうへいは、ただきえゆくのみ・・・朝の連続ドラマでさえも「世代交代」をいうものを感じるけれど、私の身の上にも、時は公平に移りゆくのですねぇ。