さっと

秋田県南に住んでいる「風変わりな人」・・だそうです。

みっか

明日(水曜日)から「平日」の予定なんですが
その夕方には職場から真っ直ぐに、いとこの家に行き「納棺」・・
「にっかん」っていう習慣があるから「入棺」のほうがリアルなのかしらね?!
その次の日(木曜日)には「火葬・葬儀」があって・・
ソンでもって、その次の日(金曜日)には「一・七日」の「仏送り」なんだって。
晦日の土曜日になくなったものだから、置いておかないといけなかったし、
3・七日、5・七日、7・七日が、全部・金曜日になってしまいます。
百かん日は、二日ずれるから、日曜日ということですね。

火曜日の今日は、ふと気がついたら、お昼近くになっていて、
友人から連絡があり「鶴が池」にお風呂と、昼食をとりに・・
手ゴネのハンバーグセットを注文して食べたんだけれど、
ポテトとかの、付属品を食べきれず><

歳をとると、食べる量が減ってくるのかなぁ・・・ふー

正月(正しいのは「門松」)は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
なくなったかたにお水をあげてきたばかりなので、この言葉が身に浸みます。

温泉から帰宅した時に、お昼のお弁当が届いているのに気が付かなくって、
今日の献立の準備を進めていたのですが、薄暗くなった夕方になって、
玄関に電気をつけたら、その存在に・ようやく気が付いた。
食べるもの・・・ありすぎちゃって、こまるの・・これって、昔の人にはわからない感覚なんだろうなぁ><
冷蔵庫や冷凍庫にも、モノがいっぱいになっていて、賞味期限が切れる前には全部を食べきれません
・・・先人たちが頑張って築いてくださったこういう社会・・・いまでは「恵まれすぎている」のでしょうか
社会全般的に生活レベル=グレードが上がってきておりますので、
昔と同じ感じで生活している人は「貧困」といわれるのですねぇ・・・
そういうレベルが普通な時代で、私達は育ってきたのですが
・・・スマホを連絡用に持たされている「貧困」家庭??
家族が一緒に食事をしない・できない「孤食」児童??
親たちが忙しかったら、そういうような状態になるのは当たり前だったし、
お小遣いさえもねだれないような環境で、おやつだって、おにぎりとか小麦粉を水で溶いて焼いたものとか
家に帰ってもだれもいない「かぎっ子」だって、それはそれで「当たり前」だったんで、
あのころは、そんな生活をしているからっていう理由で、すねる子は、いなかったんだけれど・ねぇ
え・・周りからの「いじめもんだい」があるから? 
私だって「しかと」「ちょっかい=いじわるされる」のなんて、当たり前だったよ!!
今の時代の子だったら、ものすんごい地域社会問題になるような事態・環境のなかで生きていましたよ。
そういえば・・・私たちの学年は、学校ぐるみ・巻き込んで、金銭の巻き上げ的な問題や
修学旅行での男女間の差があったための宿泊先の行動の事とかで、
親たちが騒いでいたことだって・・・そういえば、有りましたっけねぇ

それ以上に、私のようなものは、見えない心の中がズタズタに傷ついていたんですが、
そんなことは、ぜんぜん相手に(問題視)されなかったなぁ
いまのような「お遊び(余裕)」のない時代だったこともあるのか、そんなのんが「当たり前」の「世の中」だったんだものねぇ・・・はーぁ