ピザが食べたくなったらここ!というお店は?
記憶にない・・・私の周りに「ピザ屋さん」は・・・・有るのかな?
冷凍のモノしか食べていない気がします。
「第三日曜日は家庭の日」・・まだ、この言葉はいきていた・あったのか?
「秋田県」のキーワードでは出てこないので、アッチコッチ検索してみました。
*「家庭の日」は、昭和30年に鹿児島県の小さな町で誕生
*昭和30(1955)年に鹿児島県のある町で、家庭の大切さを見直すことと、農業従事者の農休日を設ける動きがきっかけとなり誕生
*昭和39年に黒石市の青少年問題協議会が毎月第3日曜日を「家庭の日」とし、その普及に乗り出した。
*「家庭の日」運動は、1955年に鹿児島県の鶴田町で始まり、薄れつつある家族の絆を大切にし、また休みの取れない農業従事者のために「農休日」を設けようとの企図により始まり、1965年頃から日本各地で制定された。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
これらの見つかった内容をまとめると、町村単位では、昭和30年から運動が行われ、全県単位では、昭和40年から秋田県が運動・・ということなのでしょう。
秋田県庁職員として、其れにたずさわっていた佐藤東一という方が地元に帰って、町長さんになった・・・って聞いています。昭和40年代の話だと思うから、話がかみ合うんじゃないかな?
お亡くなりになって、その後の町長選は、いろいろと・・テレビ沙汰にもなりましたっけ。
再度、検索。
稲川町(いなかわまち)は、かつて秋田県雄勝郡におかれていた町。
東西を山にはさまれた町で、2005年3月22日、湯沢市および雄勝郡雄勝町・皆瀬村と合併し、新しい湯沢市の一部となったため廃止になった。
歴史
フム、駒形の記載が見当たりません。抜けています。
確かに秋田県の「家庭の日運動」は、とても熱心でしたよ。歌もありました。
♪風もさわやか・・・よぶ。あのうちこのうち朗らかに、そろって迎える家庭の日。
幸せ築く喜びを、共に楽しく語り合い、みんなでよい日に育てよう。
こんな感じの歌詞だったような・・ダメだわ、うろ覚えみたい。
積極的に推奨した世代の方々がお亡くなりになっているし、時代が移り変わって、その後だんだん聞こえなくなってきていましたから、今ではもう、消えて・消滅してしまった言葉・死語なのだと思っていました。
今日も一日あちらこちらに用事果たしで動いて、夜に、11月号の課題を発送・送付するために袋詰めしに支部長さん宅に行かなくっちゃ。
今日も、忙しい一日になりそう。早く寝よう
朝から電話があり「出掛けよう!」というお誘いだったみたいですが、今日はハードスケジュールで、ご一緒は無理なんです。
出掛ける前に大根の皮をむいてぶつ切りにして、面取りをしないで、皮をむいた小さいジャガイモをマルまんま一緒に弱火で数十分加熱してとめて…昨夜の子どもたちの教室の最中に反射型ストーブの上にのっけるつもりだったのですが、昨日まで調理出来なかったので、ガスレンジを使わないといけなくなりました。
プロパンガスがもったいない気もしましたが、寒いとはいえ台所に大根を生のままで置いていたらいつの間にか”すが出来る”ので、加熱しておいて少しずつ食べない事には生ごみ化するので仕方がありません。
その脇にある新聞紙で包んである白菜が、持ち込んだ時と比べたら軽くなって、かさが半分ぐらいに減ったような気がします。
瞬間湯沸かし器を交換していただいたら二万五千円に消費税を上乗せして三万円弱でした。
知人が温度設定を下げると止まってしまって冷たい水になるし、熱めの御湯だと火傷しそう・・とのことでしたので(私が使うには問題が無かったのですが)、機種交代していただいたのです。20年前の機種なのだそうで「今までよく持ちましたね。」とのことでした。
台所の電気・明かりを替えていただいたのに続いて、ドンドンと買い替えが進んで居ます。
昨日からトイレのウォシュレットが反応しなくなり、今朝、電池を交換しました。
ちゃんといろんな大きさを揃えてあった買い置きの電池も無くなっていきます。
充電電池だとパワー・底力が足りない機器が多いことにもびっくりしています。
まともな献立の食事は出来ないのですが、リンゴと柿をむいて食べることは出来ます。